対馬観光日記:日本の歴史を追体験する旅・2日目 | 風景写真家 落合勝博 ゆるブログ
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対馬観光日記:日本の歴史を追体験する旅・2日目
category: 撮影手記
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    前回「1日目」はこちらからどうぞ。

    さて、対馬旅行2日目。
    実質的な初日である今日から、風景写真家らしく(?)、「良い風景写真は夜討ち朝駆け」とばかりに、朝早くから駆けずり回ることにしました(笑)

    対馬藩お船江跡

    長崎県対馬市、対馬藩お船江跡、長崎県指定史跡、厳原、江戸時代

    まずは宿泊地の厳原近くの漁港にある「対馬藩お船江跡」から。長崎県指定史跡です。
    ここは、日本と朝鮮半島間の往来の中継地だった所です。なんとこの石積みの入り江は1663年に造られたそうです。石積みは当時の原形を保ったままで、現在でもこのような原形を残した船江跡としては日本で唯一と言っても良いほど状態が良いそうです。約350年も前に造られたものが、だーれもいない所に普通にあるのが対馬という場所なんです。スゴイです。でも、これでも、まだまだ序の口です。


    内山峠の朝景

    長崎県対馬市、内山峠、展望台、アカハラダカ、バードウォッチング
    ※この画像はクリックすると拡大できます。

    お次は、内山峠。駐車スペース横には簡易トイレと、春秋には渡り鳥(アカハラダカ)が見られるよというバードウォッチャー魂をくすぐる素晴らしい看板がありました。そして展望台を登ると「バーン!」と開けた展望が。朝日の方を見ると、薄曇りの隙間から太陽がコンニチハして、天使のはしごが見えました。これで2日連続で天使のはしごです。幸先が良さそうです。


    スジダイの森

    長崎県対馬市、豆酘龍良山、スダジイの森、天道信仰、天道法師、オソロシドコロ、原始林
    ※この画像はクリックすると拡大できます。

    対馬の南端・豆酘(つつ)にやってきました。対馬は南北に長く高速道路がないので、南に向かったら、一日南にいないといけない場所です(北もしかり)。豆酘は赤米神事や亀卜などの古い風習が残る土地で、豆酘の龍良山(たてらさん)は、その中でも、昔は天道信仰の聖地として立ち入りが禁じられていて、斧が入ったことのない本当の原始林が残る場所なんです。この森の照葉樹(スダジイ、イスノキなど)の平均樹齢は約200年とされていて、今では国の天然記念物にも指定されています。なお天道信仰というのは、対馬での太陽信仰なのですが、聖マリアの処女懐胎とイエス・キリストの話にところどころ似ています。興味のある方はWikipediaの「天道」をどうぞ。この天道信仰の中心人物・天道法師がいつ頃の人かというと、文武天皇を治癒したと伝承されているので、なんとAD700年前後のことです。聖徳太子の時代からわずか百年しか経っていない頃です。一気に時代が遡ったのでうさんくさく思うかもしれませんが、これが対馬の歴史のスケール感ですよ。聖徳太子くらいの時代には、既に対馬は日本と朝鮮半島や大陸間の交易の中心にあった場所なので、何の知識もなく訪れた私はカルチャーショックを受けました。中国・三国志の時代(AD300年頃)に書かれた「魏志倭人伝」にも対馬国として登場するような古い歴史を持つ島なのです。


    鮎もどし自然公園

    長崎県対馬市、鮎もどし自然公園、瀬川、花崗岩
    ※この画像はクリックすると拡大できます。

    元寇の戦場跡へと向かう途中、鮎もどし自然公園に駐車して瀬川に降りてみました。瀬川は一枚の花崗岩の上を流れる珍しい川で、川床がつるつるです。いつか新緑の映える、梅雨時の雨上がりの朝に撮りたいものですね。


    古茂田浜(元寇古戦場跡)

    長崎県対馬市、古茂田浜、古茂田浜神社、元寇古戦場跡

    この辺が、古茂田浜という海岸で、元寇の古戦場とされる場所です。この浜に元の大軍が押し寄せました。一応Wikipedia記載の情報を元に要約すると、元寇とは、鎌倉時代に皇帝クビライの支配するモンゴル帝国(蒙古/元)とその朝鮮半島属国の高麗王国が日本に対して2度行った大規模侵攻のことです。一度目が1274年の文永の役、二度目が1281年の弘安の役と言います。クビライが日本に興味を持ったのは、一説にはマルコ・ポーロの東方見聞録の中で日本にはあふれるばかりの金があると書かれていることに端を発しているとか(えーい、迷惑なマルコ・ポーロめ!)。とはいえ、すぐに侵攻してきたわけではなく、まず1268年から1272年までに何度かに渡って朝貢を勧める使節団を日本に送ってきましたが、折り合いがつかず、そして翌年から準備が進む侵攻へと繋がります。日本の本土の歴史教科書で習うのはこの侵攻のあたりが中心で、その中では、神風によって救われた的なことが書いてあって、めでたし、めでたしとなります。ところがですね、当然ですが、本土に至る前には途中にある対馬や壱岐に寄っていて、対馬では守護代の宗資国(あるいは宗助国)が80騎あまりで元軍1000人と戦って戦死し、島人の多くも殺害されたそうです。壱岐では守護代の平景隆が100騎あまりで応戦したそうですが、当然かなうわけもなく戦死しました。ちなみに元軍は元からの主力軍が15000〜25000人、高麗軍が5300〜8000人とされています。当時の海岸線は今の古茂田浜よりも陸側にある場所とされていて、実際にその辺りに、当時の守護代・宗氏の首塚、胴塚があります。首と胴が別れていることに当時の侵攻の悲惨さが表れていますね。。。


    長崎県対馬市、古茂田浜、古茂田浜神社、元寇古戦場跡

    これが、その古茂田浜脇にある古茂田浜神社です。元寇の際に国土を守って亡くなられた英霊を祀っています。合掌。


    椎根の石屋根倉庫

    長崎県対馬市、椎根の石屋根倉庫

    石屋根とは、対馬の伝統的な屋根葺き方法で、瓦より堅固な石材が容易に得られる地方であったため古くからあったと考えられています。石屋根は現在でも対馬の所々で見ることができますが、特にこの椎根の石屋根は、浅海の島山から運んだと言われている厚い砂岩で出来ていて、対馬の中でも格別とされています。石屋根は人家には使用せず特に大事な倉だけでも火災から残すために使われていたそうですよ。


    豆酘崎の夕景

    長崎県対馬市、豆酘崎、対馬南端

    対馬の中で車で来られる地での南端となる豆酘崎に来ました。本当の南端はここからそう遠くない神崎なのですが、、、まぁ一人旅というわけでもないので読者の皆様にはカンベンしてもらうことにして。で、その豆酘崎に来た目的は、西にあることから夕景です。夕景と海岸風景を絡められないかと思ってやってきました。

    長崎県対馬市、豆酘崎、対馬南端
    ※この画像はクリックすると拡大できます。

    で、これがその夕景です。雲がちの微妙な一日でしたが、一日の最後に、その雲のおかげで天使のはしごを使った風景写真を撮ることができました。めでたし、めでたし。

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